TAKEHIRO TEZUKA

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実家での回想録1



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9月17日から10月2日までの間、とある理由から実家に帰省することになった。2019年以来の帰省。当時家庭内のいざこざやCOVID-19の蔓延により、実家との関係は疎遠になっていた。連絡を取ると父と母は快く私を迎え入れてくれた。二人は私がどうしているか心配し、私は連絡をしなかったことを謝り、疎遠になった理由を話した。しかしながら、2019年は家庭や世間、そして私個人の出来事が重なったこともあり、理由を一言で括れないように感じられた。その時はそのように成るべくしてなったのだと思えた。
実のところ、私も帰省する日まで心の片隅で実家の家族について、どうしているのか日頃より心配でいた。そして、当時着手しつつも果たせなかったことがまだ実家のそこに残っていた。意外な成り行きの帰省ではあったけれど、今回は当時の続きする良い機会のように思えた。

実際に父と母に会うと二人とも健在で、それぞれに目標があり、むしろ数年前より活き活きとした生活を営んでいるようで安堵した。当時の家庭の事情も世間の出来事も私自身の心情すらも、私が思っていたよりも収束し、それぞれちょうど良い着地点が見つけられたようだった。新たに加わった犬1匹、猫の親子2匹のおかげもあるのかもしれない。

しばらくの間玄関のベンチに座り、残暑の蝉が鳴く生まれ故郷の空気を吸った。そこで長らく見ていなかった実際の故郷の風景と数年前より止まっている記憶の中の風景を照らし合わせ、変わったこと、そして変わらないでいることについてひとつずつ丁寧に考えていた。目を閉じたまま、目の前にある『今』という陶器の器の輪郭を手の感触を頼りに確かめるように、これまでの半生と現在とを結び付けようとした。


“Memoirs of my parents’ house from September 17th to October 2nd” I

Due to certain reasons, I returned to my parents’ house between September 17th and October 2nd. It was my first homecoming since 2019. At the time in 2019, my relationship with them had become estranged to due to internal and external conflicts at my parents’ house and the impact of COVID-19 in society. When I contacted them, my parents welcomed me. They said they had been worried about how I’ve been doing, I apologized to them for not contacting them, and I explained why I think I became estranged. However, at the time, my family circumstances, COVID-19, and my own personal events all came together, so I couldn’t say only one definitive reason. Now that I think about it, it might just meant to happen that way.
To be honest, until the day I returned my parents’ house, I was worried about my family in the back of my mind. Also, there were still things I had to do that had been put on hold from 2019. Although my return parents’ house came about unexpectedly for me too, this time seemed like a good opportunity to finish them.

When I actually met my father and mother, both of them were alive and well, and each had their own goals, and I felt that they were living a more lively life than they had a few years ago. I felt relieved to see that. The family disputes at the time were not resolved completely, but it seemed that each of them had found a good end point. And other things seemed to have settled more than I had expected. It might be also thanks to the new dog and two cats, a mother and her child.

I sat on a bench in the entrance for a while, breathing in the air of my hometown where the cicadas were chirping in the lingering heat of summer.There I compared the actual scenery of my hometown which I hadn’t seen in a long time, with the scenery in my memory which had stopped several years ago, and carefully thought about one by one the things that had changed and the things that had remained the same. I was trying to connect the half my life with the present like one line, as if tracing the outline of the ceramic vessel called “the present” before me with my hands with my eyes closed.


甲子園、躍動、秋の入り口



ラジオをつけると甲子園が中継されていた。今日は決勝戦。関東第一と京都国際の試合。ちょうど延長10回表が始まろうとしているところだった。
中継状況から今まさに蒸した球場内では熾烈な攻防戦が繰り広げられており、両チーム疲労しながらもこの延長で勝負が決まる緊張、勝負を決めにゆくという気迫が伝わる。0対0の延長戦。固唾を呑み、僕はラジオにかじりついた。

10回表、京都国際の攻撃。フォアボールの押し出し一点。続いて犠牲フライの一点。しかし、関東第一も負けずに満塁で後を追う10回裏。両者拮抗した熱い戦い。試合の成り行きがどうなるのか分からなかった。
素晴らしい戦いだ。

ストレートからのスライダーで三振。試合が終わる。
途中からの観戦だったが、その短いながらも僕は彼らと同じ歳になって、青春を分かち合ったような心地だった。僕の体にはあの頃と同じ躍動感がまだ残っている。その感覚を記憶の中から引っ張り出してくれたそんな試合だった。
両チームともおめでとう。そしてありがとう。

今日は甲子園が終わり、外では秋の空気を微かに感じさせるそんな一日だった。赤とんぼも散見され始めた。
今年8月23日は秋の入口。


毎日というフレーズを探して



『毎日』というフレーズに意識を向けている自分がいる。意識するようになったきっかけは米津玄師の「毎日」を聴いてからだった。
『毎日』という言葉を僕はどう捉えるだろうか。



僕は先の明るい未来をイメージして毎日を捉えたいと思っている。毎日を突き抜けるくらいに毎日を送ってもいいんじゃないか。
情熱を持って。

ラジオからは歌詞に『毎日』が含まれている異なるジャンル・時代の音楽が流れてくる。耳を傾けていると、歌ってる人、歌詞を作った人が『毎日』をどう捉えているか窺い知ることができる。
こんな毎日もあり、あんな毎日もある、と様々な『毎日』がある。

ラジオからは子門真人の「およげ!たいやきくん」が流れる。平井堅の「KISS OF LIFE」も思い出す。

息吹を吹きかけるのが僕の仕事。






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